紅岸寺城

別名 邑久郷城  付近住所 岡山県岡山市邑久郷 現在 紅岸寺
2008/8/25 碑・案内板アリ


宇喜多氏  この丘は、近世の編纂物によれば、宇喜多五郎左衛門を城主とした城跡と伝えられているが、現況地形からすれば防衛拠点としての城郭痕跡は認められず、あるいは宇喜多に拘る寝小屋あるいは館などの日常生活拠点として利用された寺がそのように伝えられた穴太清華ある。
 他方、江戸前期の寛文年間(1661〜73)藩主光政により断行された寺社整理によって、牛窓町千手にある弘法寺の末寺であった紅岸寺も廃寺へと追いやられ、宝永5年(1708)には寺株や寺領も処分され、小堂と墓地が残されるのみとなった。この寺がかつて宇喜多氏縁故の寺院であったことは、宇喜多能家・安心禅師(忠家)両画像がこの地に伝えられたことによって明らかである。

紅岸寺と能家
 紅岸寺は備前の国邑久郷のこの丘寺山に建てられていた真言宗の寺院です。当時(室町時代)壇家であった戦国武将宇喜多能家(?〜1534)は自分の画像を奉納しました。
 江戸時代寛文年間(1661)の頃廃寺となり能家・忠家画像は土地の長者納屋初代七郎右衛門忠行が預かりました。五代目が津山移住まで保管されていました。
 文久3(1864)年霊屋の完成奉納現在は岡山県立博物館所蔵で国の重要文化財となっています。